不妊治療の方法は様々ありますが、その最終手段とも言われるのが「顕微授精」です。
日本では1994年に初めて顕微授精による妊娠・分娩例が報告されて以来、年々実施件数は増加しています。今回はこの顕微授精について詳しく解説していきます。
目次
顕微授精(ICSI/イクシー)とは

顕微授精とは、妊娠における受精の過程を体外でおこなう治療方法です。
採取した卵子に、一個の良好な精子を直接注入して受精卵が成立することを目指します。受精卵が成立後は子宮へと移植し、子宮に定着して妊娠が成立することを期待します。
ICSI(Intra Cytoplasmic Sperm Injection)や卵細胞質内精子注入法とも言います。*
*顕微授精には卵子の周囲の透明帯に穴をあける透明帯貫通法(PZD)や、卵子の透明帯と卵細胞質の間に精子を注入する方法(SUZI)などもありますが、世界的にも現在主流となっている手法はICSIです。
顕微授精の利点
顕微授精では、受精に必要な精子の「数」が取れなくても、良好な精子が「1個」でも採取できれば受精の可能性があります。
一般的な不妊治療や、採取した卵子に精子を振りかけて受精を促す体外受精の手法では、最終的に精子が自らの力で卵子の保護膜を破って進入する必要がありますが、これには卵子1個に対し数多くの「運動精子」が必要になります。
しかし顕微授精では、卵子1個に対し、理論上は生きている精子が1個でも採取できれば受精の可能性があるのです。よって、精子の運動性が悪かったり、高度の乏精子症や無精子症といった男性側の不妊原因がある場合、顕微授精が突破口となりえるのです。
顕微授精の対象となるのは?
日本産婦人科学会が示した「顕微授精に関する見解」では、男性不妊や受精障害など、顕微授精以外の治療によっては妊娠の可能性がないか極めて低いと判断される夫婦を対象とする、としています。 日本産科婦人科学会雑誌第74巻第7号 (kyorin.co.jp)
具体的には、
- 女性の年齢が高く妊娠の機会が限られる
- 卵子の数が極めて少ない
- 男性の精液中の精子濃度や運動率が低い重症男性不妊症である
- すでに体外受精・胚移植の経験があるものの受精ができなかった
- 体外受精等の受精率が非常に悪く他の治療によって妊娠が得られない難治性不妊症である
- 抗精子抗体(精子の運動性を阻害する抗体)を持っている
など顕微授精以外の方法では妊娠の成立が見込めない方を対象に治療がおこなわれています。
費用について
2022年の4月より、顕微授精の治療にも保険適用が認められました。
顕微授精による受精費用は、卵子の個数によって以下のように変動します。

*顕微受精費用以外にも、採卵や培養、移植、そしてそれらの管理など、それぞれの過程で別途費用がかかります。詳しくは別記事にて解説していますので、併せて参考にしてください。
顕微授精の数値実績
顕微授精を含む体外受精の治療は、高度な不妊治療として生殖補助医療(ART)と呼ばれており、日本産科婦人科学会に治療の認可を受けた施設のみが実施できます。
また、おこなった体外受精に関するデータについて、学会へ報告することになっています。この実績データをより深く理解するため、まずは治療周期数と治療方法について知っておきましょう。
不妊治療では月経開始から次の月経開始までを1周期ととらえます。治療の件数もこの「周期」でカウントします。
採卵した卵子を体外で受精・培養のうえ同じ月経周期に子宮に戻す治療を「新鮮胚移植」と呼びます。採卵した卵子を受精・培養した後、細胞分裂した受精卵を凍結、次の月経周期以降に子宮に戻す治療を「凍結胚移植」と呼びます。
日本産科婦人科学会が発表した2020年のレポート結果によると、顕微授精による新鮮胚移植の治療周期総数は151,732周期、出生児数は2,596人となっています。
これは、新鮮胚移植治療の64%を占め、出生児の割合も53%と、半数以上が顕微授精で誕生していることがわかります。
顕微授精は生殖補助医療の最先端技術であることに加え、2022年より公的医療保険の適用が認められました。今後も、その治療実績は増えていくと考えられます。

顕微授精を検討する男性不妊例
不妊症には様々なケースがありますが、中でも精子の受精能力に問題がある「男性不妊」の場合、受精を手助けする方法として顕微授精が検討されます。
まずは男性不妊の原因となる例を確認しておきましょう。

①造精機能障害
男性において、精子を作る機能に何らかの障害があり、精子の数が少なくなったり、運動率の低い精子になってしまっている状態を造精機能障害と呼びます。
精子量や運動率は自然妊娠のために必要なものであり、造精機能障害は男性不妊の原因の約9割を占めるとも言われます。造精機能障害の主な症状は以下の通りです。
乏精子症
精液中の精子が少ない症状です。
その定義は、精液1㏄あたりの精子数が1,500万以下、射出精子当たりの総精子数(精液量×濃度)が3,900万以下であることとされています。
一般的に健常とされる男性の精子数は億にのぼりますので、乏精子症の方の精子数がいかに少ないかわかるかと思います。
精子無力症
乏精子症は精子の濃度が低いことを指しますが、精子無力症は活発に運動できる精子の量が少ないことを言います。正常な精子の運動率は55%以上あるとされており、動いている精子が40%以下、もしくは活発な前進運動をしている精子が32%以下の場合精子無力症と診断されます。
精索静脈瘤(せいさくじょうみゃくりゅう)
精巣から心臓に戻る静脈内の血液が逆流し、精巣のまわりに静脈のコブができてしまう状態です。
正常な精子が作られるには、体温より1~2度低い温度が適温とされており、陰嚢が体外にぶら下がっているのはこの温度調節のためです。精索静脈瘤ができることで、血流に障害が起き精巣内の温度上昇が起こると精巣機能が低下します。
造精機能障害のうち、原因が判明しているものの約3割に精索静脈瘤がみられます。
②性機能障害
勃起や射精ができないことで性交がうまくいかず、不妊症となってしまうこともあります。身体的な問題、心理的な問題、またこれらが複合的に組み合わさることによっても引き起こされます。ガイドラインに沿って適切な服薬治療をすれば改善することがあります。性機能障害の代表的な症例は以下の2つです。
勃起障害(ED)
性交のために十分な勃起を維持できない状態です。加齢によるもの、高血圧、動脈硬化、糖尿病、前立腺がん手術の影響、うつ病治療薬の副作用といった身体的要因のほか、疲労やストレス、緊張といった心理的な要因も考えられます。
射精障害
性機能障害において、勃起はできるものの射精がうまくできない状態をいいます。
射精までの時間が遅い、腟内で射精できない「遅漏」、反対に腟への挿入前や挿入後早期に射精してしまう「早漏」、膀胱へ精液が逆流してしまう逆行性射精などが挙げられます。
③精路閉塞障害
精子の通り道となる精管が、なんらかの原因で詰まっている状態を指します。
射精液は精子以外の前立腺液、精嚢液が9割を占めており、射精は通常通りできることから精液検査をして初めて分かることがほとんどです。
閉塞箇所が分かれば手術によって精路を開通させますが、難易度の高い手術になります。
精巣内の精子を採取できれば、体外受精に用いることは可能です。
男性不妊以外で顕微授精を検討する事例
難治性不妊症
一般不妊治療や、通常の体外受精治療を受けても妊娠に至らなかったなど、不妊原因が特定できない難治性不妊症の場合、最終的に顕微授精が検討されます。
高齢出産
医学上、30代半ば頃から妊娠に関するさまざまなリスクが相対的に高くなるといわれており、35歳を超えて出産をすることは、一般的に高齢出産とされています。
女性の卵巣に貯蔵されている卵子の数には限りがあり、加齢とともにその在庫がどんどん少なくなること、併せて細胞の老化によって卵子の質の低下が懸念されることから、不妊治療に取り組む高齢出産の方においては、男性の精子状態が良好であっても顕微授精を検討することがあります。
抗精子抗体を持つ場合
女性の体にとっては異物である精子に対し、自分の体を守ろうとする免疫機能が働き、抗精子抗体ができてしまう可能性が3~4%程度あるといわれています。
また、女性のみならず男性でも、精巣や精巣上体とよばれる付属する組織の炎症や、外傷などによって精子が血液中に入ってしまうことで抗体ができる可能性があります。
この抗精子抗体を持つ場合、精子が卵子の待つ卵管までたどり着くことができず、自然妊娠がきわめて難しくなるため、顕微授精が有効な治療手段のひとつとなります。
顕微授精の治療内容
採取した卵子に、一個の良好な精子を直接注入して受精卵の成立を目指すことが顕微授精のおもな治療内容となりますが、男性側の精子に不妊要因が考えられるケースが多いことから、精子の選別も重要な工程となります。
精子の選別
採取した精液中には元気な精子、そうでない精子、死んだ精子も含まれていますので、元気な精子を取り出すための「精製」という過程が必要になります。
培養液を用いて遠心、洗浄、濃縮などをおこない、さらにスイムアップ法と呼ばれる状態のいい精子のみを回収する方法で選別をすることが一般的です。
顕微授精では、この選別された精子を、胚培養士と呼ばれる医療技術者が高倍率の顕微鏡下でさらに細かく確認し、より運動性や形状のいいものを選びます。
精子の形状は頭部に奇形や空胞がないもの、尾部が欠損、短縮していないものが正常とされており、自然妊娠の過程でも頭部の形に異常がある精子はDNA情報が正常ではなかったり、前進する力が弱いため、授精能力が低く淘汰されていきます。
このように、様々な工程を経て選別された1個の精子を細いガラス針に入れ、卵子に直接注入することで受精を目指します。
受精後の流れ
顕微授精をおこなった後、3〜6日間培養をおこないます。
細胞分裂した受精卵を子宮腔内に戻した数週間後に、尿検査や血液検査で妊娠を確認し、6週目頃に心拍が確認されれば妊娠成立となります。
胚培養士の役割
胚培養士(生殖補助医療胚培養士、エンブリオロジスト)とは、体外受精のスペシャリストともいえる医療技術者です。
生殖補助医療をおこなう医院では、「胚」と呼ばれる細胞分裂した受精卵を取り扱える技術者として、医師または胚培養士の設置が決められています。
胚培養士はおもに以下の役割を担います。
・不妊治療のための精液採取・精液検査・精子の選別・処理・凍結
・採取された卵細胞の培養・凍結
・体外受精(採取した卵子と精子をシャーレで混ぜ、受精させる)
・顕微授精(顕微鏡下で直接卵子に精子を注入して受精させる)
・受精卵の培養液調整・インキュベーター*の管理・培養した受精卵の凍結
*受精卵を育てる培養器
まとめ
一般不妊治療よりもさらに高度な生殖補助医療である顕微授精は、全てが受精にいたることは難しくとも、卵子と精子が出会う機会を確実に作ることができるため、現代医学における不妊治療の最後の砦といえます。
特に、不妊原因が男性に起因するケースではとても有効な方法となります。女性のみでなく、男性も不妊について当事者意識を持ち、お互いに協力することが大切です。
また、体外受精、顕微授精の保険適用に年齢制限が設けられていることからも分かるように、妊娠については母体の年齢の影響を大きく受けます。
妊娠を希望する方は1日でも早く不妊治療を始めることが重要です。
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参考
_pdf (jst.go.jp)
抗精子抗体について | 不妊治療 京野アートクリニック高輪(東京 港区 品川) (ivf-kyono.com)
詳しく知りたい不妊治療:顕微授精|生殖医療科 杉山産婦人科 (sugiyama.or.jp)
主婦の友社 不妊治療ナビ 山下正紀
文芸社 あなたは体外受精でなくても、妊娠できるのでは? 横田 佳昌